LOGIN「……あれ、おかしいな? 朝陽《あさひ》さん、さっきまでそこにいたはずなのに」 私の実家に挨拶に行く準備も出来たし、そろそろ駅に向かうためにマンションを出なくてはと思ったが肝心の朝陽さんの姿が見えなくなっている。確かに数分前までは、そこのソファーに座って書類の束と睨めっこしていたのだけど。 新幹線の出発時間ギリギリになるのは困るので、朝陽さんを探しにうろうろしていると彼の部屋から話し声が聞こえてきて。「ああ……そうだ、今日の……全部、お前たちに任せるから……いいか、しっかり頼んだぞ」「……あの、朝陽さん? そろそろ家を出ないと、予約した新幹線に間に合わなくなっちゃいますよ?」 盗み聞きするのも申し訳ないと思い、扉をノックしてそのまま声をかける。最近は部屋の中まで入ることが増えたけれど、今回は通話の邪魔にならないようドアは開けなかった。「ああ、そうだな。すぐに行くからタクシーを呼んで玄関で待っててくれるか?」「分かりました、そうしますね」 何かあったのだろうか、多分さっきの雰囲気から大事な話だった気がして。でも朝陽さんは私には聞かれたくなさそうだったから、すぐに部屋から離れたのだけど。 休日とはいえ朝陽さんに仕事のことなどで着信がある事は珍しくない、彼の立場上それは仕方のない事だから。でも今日に限って……という気持ちもあって何も言えなかったけど、彼は無理をしてないかと心配になる。 こういう時、自分が朝陽さんの力になったり手助け出来る事があまり無いので凄くもどかしいの。「すまない、少し待たせたな! とりあえず、急いで駅に向かおう」 数分してから朝陽さんがちょっと慌てたように玄関へとやって来たけど、何となく浮かない表情をしてる様に感じて。だから余計なお世話だと分かっているのに、つい聞いてしまったのだ。「あの、さっきの電話はもう大丈夫なんですか?」「ああ、それはもう全部部下に任せてる。今日は俺たちにとって大事な日だから、鈴凪《すずな》はそのことだけ考えていてくれればいい」 朝陽さんの仕事に私が口出しをする事は出来ないから、そう言われてしまうとこれ以上は何も聞けなくて。もちろん彼が信用している人達なのだから、きっと大丈夫なのでしょうけど。 その後の新幹線での移動中は朝陽さんはいつもと変わらない様子で、どうやら私の杞憂だったのかもしれない。それ
『その相手は、そっちで出会った人なのか? 流《ながれ》君ではないのなら、私たちとは面識のない男性なんだろう?』 驚いて言葉の出なくなった母の代わりに、今度は父が電話越しに質問をしてきて。きっと今のお母さんよりは冷静なのだろうけれど、いつもより父の声が上擦っているのが分かる。 こんな急な話を直ぐに信じろと言っても無理があるし、二人が戸惑ったり疑ってしまうのも仕方のないことで。でもお互いの家族にちゃんと話して結婚を認められたい、朝陽《あさひ》さんはそう言ってくれたし私も同じ気持ちだから。「うん、その人には流から一方的に婚約破棄された時からお世話になっていて。想い合えたのも、つい最近の事なんだけれど……」『なぜそんなに結婚を急ぐ必要がある? 鈴凪《すずな》はまだ若いんだから、もっとお互いの事を理解し合うため時間をかけるべきだと私たちは思うんだが』 お父さんはこの結婚に反対するつもりでそう言ってるのではないと分かってる、ただ私の事を心配してくれているだけで。婚約破棄されて間も無い私が焦って、誰でも良いから結婚しようとしてるのでは無いかと考えたのかもしれない。 もちろん私はそんなつもりはないし、朝陽さんが相手だからこそプロポーズに応える気になったのだけど。それがこの電話越しの私の言葉では、ちゃんと両親に伝わらないのがもどかしい。『そうよ、お母さんもお父さんに賛成だわ。付き合ったばかりで鈴凪もその男性も、お互いの悪い部分が見えてないだけかも知れないでしょう? だから、もう少し……』 母も父と同じ様な考えらしく、私の結婚について先延ばしにしたいようで。でも結婚式の日付も決まっていて式場も手配済みなのだから、はい分かりましたと引き下がれない。 それに私自身が朝陽さんの言っていた彼の【愛され花嫁】に、早くなりたい気持ちでいっぱいなんだもの。だから、つい……「我儘を言ってるのは分かってるわ、でも私は彼との未来しか考えられないの! 出会ってからの時間なんて関係ない、そう思えるくらい朝陽さんしか見えないんだから」 こんな風に強く自分の意見を言う事は珍しかった。私はわりとはっきりとした性格ではあるけれど、何だかんだで周りに合わせる方がおおかったし。両親から言われたことも、素直に聞く方だったので驚かせてしまったかも知れない。 そう考えて申しわかない気持ちになっ
「……もしもしお母さん、鈴凪《すずな》だけど。今からちょっと大事な話をするんだけど、驚かないで聞いてね?」 きっと実家の母も朝ごはんを済ませて少し落ち着いた頃のはず、土日はパートの休みだと聞いているのでゆっくり話せるだろうと思って電話を掛けたのだけど。 もう子供が二人とも巣立ったのもあってか、電話口の母の声はまだ寝ぼけているようだった。いつも早起きして朝食を作っている人だったが、今はわりとマイペースな生活をしてるのかもしれない。『もう、何を驚けっていうの? 流《ながれ》君との婚約破棄を聞いたばかりなのよ、それ以上のことなんてそうそう無いでしょうに』「そう、なんだけど……ちょっと、色々あってね」 朝陽《あさひ》さんから『結婚の挨拶をしたいので連絡して欲しい』とは言われたものの、今回のことを母にどう話せば良いのかが分からなくて。婚約破棄をしたばかりなのに、今度は結婚式の日取りまで決まっているのだから。 急にこんな話をしてしまったら、いくら私の母でも吃驚《びっくり》しないわけないだろうから。どうしようかと迷っているうちに母が、大事な話があるらしいわよ? と父まで近くに呼んでしまったから、もう覚悟を決めるしかなくなって。「……そのね、もうすぐ結婚式を挙げる予定なんだけど」『へえ、誰が?』 やっぱりそうなるよね、婚約破棄された私の結婚式だと思う訳ない。もともと契約で結婚式を行なう予定だったので、それまでの日数もギリギリだから。 それでも今日こそ両親に話しておかなければ、それこそ色々間に合わなくなる可能性が……朝陽さんからの催促も凄いし、必死で電話口の母を相手にその話を続ける。「うん……だから、私が」『流君と?』 ああ、元カレの流とヨリを戻したのかと勘違いされてしまったようで。私は母に流からどんな事をされて別れたかまでは話していなかったので、そう考えたのだろうけれど。両親と会う時に流は必ず【良い恋人】を演じていたから、きっとあんな男だったなんて思いもしないだろう。 もしかしたら母は彼とヨリを戻して欲しかったのかもしれないと考えたが、それはもう不可能なので素直に本当のことを話した。これから私が一緒に未来を歩んでいく人を、ちゃんと家族に紹介したいと思ったから。「ううん、彼じゃなくて別の男性と」『…………』 しばらくの間、父も母も無言になってしまっ
「あの、今度は朝陽《あさひ》さんのご家族について教えてもらえませんか? 私も貴方の事を色々と知っていた方が、次に会う時のためになると思いますし」「……なるほど? それは父親や母親に会う時のためだけってわけじゃないよな、ちょっとくらい鈴凪《すずな》も俺自身に興味を持ってはくれてるんだろう?」 その聞き方は狡いですよ、違うとか言えるわけないじゃないですか! そりゃあ朝陽さんについて色々知りたいに決まってるのに、わざわざそれを私の口から言わせようとするんだから。 二人の関係が変わって朝陽さんは自分の感情をそのままぶつけるようになったのに、今度は私が恥ずかしくて素直に言葉に出来なくなってるの。「……そうですけど、悪いですか?」「そんなわけない、嬉しいに決まってるだろ。そうだな……ちょっとここで待っててくれ」 朝陽さんはそういうとリビングに私を残して、自室へと向かっていった。数分後に戻ってきた彼の手には、少し大きめの写真立てが持たれていて。もしかしてわざわざ取ってきてくれたのだろうか?「まあ、これはまだ俺が学生の頃の写真なんだが。さすがにここ数年は家族全員で写真を撮ることもなかったから、って何をニヤついてるんだ?」「いいえ、学生時代の朝陽さんが見れるのが嬉しくて。意外と可愛かったんですね、もともと顔は整ってるから当然といえば当然なんでしょうけど」 正直、今の朝陽さんの面影はあるものの写っているのはどう見ても美少年。つい写真と朝陽さんを交互に見比べてしまったほどには、雰囲気が違っていたから。「……俺は母親似なんでな、この頃は結構この顔がコンプレックスだったんだぞ?」「そうなんですか、確かに朝陽さんのお母さんはとても綺麗な方ですね。お父さんの方は、今とあまり変わらない気がしますが」 朝陽さんの隣で椅子に腰掛けているのが彼のお母さんなのだろう。美人なのだがどこか儚げな雰囲気があって、後ろに立って厳しい表情をしている彼のお父さんとは真逆な感じがした。「ああ、見た目も中身も今と大差ないと思う。子供の頃の俺は母親にべったりだったから、この人が病気で入退院を繰り返すようになってから父親との付き合い方に随分悩んだ記憶があるし」「朝陽さんが、ですか? じゃあ……」 そうして夜遅くまで朝陽さん自身のこと、ご両親についての話をたくさん聞いて。知らなかった彼のことを色
「そうなると、今後何をしでかすか分かりませんね。こちらも警戒は怠りませんが、些細なことでも情報の共有をお願いしますよ」「……ああ、分かってる」 こんな時に私は何も二人の力になれる事がない、自分で己の身を守ることとさえ十分に出来ないことが悔しくもあって。ある程度のことは自力でやってきたつもりだったのに、あまりにも非力な自分自身がもどかしく感じずにはいられない。 このまま守られているだけじゃ、きっと朝陽《あさひ》さんに相応しい花嫁にはなれない。今の自分でも出来ること、二人の陰に隠れてそれを必死に考えていたのだけど……「こいつらの事は俺と白澤《しらさわ》が何とかするから、鈴凪《すずな》はまずそっちのご両親に挨拶をさせてもらう日取りを決めておいてほしい。出来るだけ早めで頼む、俺が親御さんに合わせて時間を作るから」「え? でも、朝陽さんだって今はすごく忙しいのに」 もちろんきちんとした形で籍を入れ結婚式を挙げる予定なのだから、お互いの両親への挨拶はするつもりだったのだけど。こうなる事を考えていなかったので、いきなり結婚するので挨拶に来ると伝えれば両親も相当驚いてしまうはずだ。 しかも多忙な朝陽さんが時間を合わせるので早めが良いなんて言うから、これはもう覚悟して親に電話をかけるしかないだろう。「そういった内容の話なら私はいない方が良さそうですね、そろそろ失礼します」「……ああ、遅くまで悪かったな。明日もよろしく」「ありがとうございました、白澤さん」 話の内容が私たちの家族のことになったためか、白澤さんは一言声をかけてマンションを出ていった。この状態で二人きりになると、余計に両親へ報告することへのプレッシャーが凄い。「どんなご両親なんだ、鈴凪のお父さんとお母さんは? それに少し歳の離れたお兄さんもいるんだろう、好きそうな話題とかがあれば先に教えておいてくれ」「えっと、父は普通の会社員で老若男女関係なく人に好かれる心の優しい人です。好きなのは野球とお酒で、試合の時は別人かってくらい熱くなりますね。そしてお母さんは……」 朝陽さんは私の両親や兄についての話を真面目に聞いてくれて、挨拶に行った時に話題に困らないように考えてくれているようだった。特にシスコン気味の兄については……こんなに可愛い妹がいればシスコンになるのは仕方ない、などと意味不明なことまで言い
「まあ、察しは付いていると思うがこっちは梨乃佳《りのか》についての調査書だ。とはいえ社長令嬢でもあるアイツについて調べられるのは、どうしても限られた内容になるんだが」「……そうでしょうね。彼女の立場上、鵜野宮《うのみや》家にとって都合の悪いことを広げるわけにはいかないでしょうし」 朝陽《あさひ》さんの言葉に白澤《しらさわ》さんが納得したように相槌を打つ、確かに鵜野宮さんは実家に力があるからそういうことが出来るんだ。私のことは全部が彼女に筒抜けでも、こちらが相手の情報を得るのは難しいのが現実で。 それでも朝陽さんが神楽《かぐら》の御曹司であるからこそ得られる情報もあるのだろう、その書類にはびっしりと文字が書かれているから。「梨乃佳は鈴凪《すずな》を陥れるため東雲《しののめ》家に取引を迫ったことが社長である父親に伝わって、今は本人のマンンションで謹慎させられているそうだ。職場ではアイツの体調不良という事になっているらしいがな」「……そう、なんですね」 あの件以降、鵜野宮さんに直接何かされる事がなくなったのはそのためだったのね。それでも流《ながれ》からの接触はあったし、これで安心出来るとは言えないだろう。 東雲君もあれからどうなったかは分からないし、これ以上は何も起こらないといいのだけど。「梨乃佳がうちの会社との取引を主に担当していたのもあって、こっちの社員も大慌てしているが……どうやら父親はアイツを海外赴任させるつもりのようだ、本人を遠くに行かせて今回のことを曖昧にしようとしてるんだろうな」「娘が娘なら、親も親……ですか。自分さえ良ければ、というところがよく似ていますね」 呆れた表情で朝陽さんと白澤さんはそう話しているが、その内容が本当ならばもう鵜野宮さんからの嫌がらせは無くなるのかと少しホッとする。彼女はきっと反省なんかしてないだろうけれど、海外赴任になればそう簡単にこちらに手出しは出来ない筈だ。 それなら良かったのではないかと思ったけど、二人の考えは違っていて……「素直に海外に行くでしょうかね、あんな我儘な女性が」「よく分かったな。アイツは父親からの指示に従わず、頑なに海外赴任を拒んでいるらしい。その上、ここ数日はマンションに怪しい男たちが出入りしているとの情報もあるくらいだ。こちらも十分気をつけるに越したことはないだろう」 海外赴任に







